レビュー

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生命を貫く線的形象   

レオナルド・ダ・ヴィンチは、その晩年、大洪水による世界の没落の幻想にとらえられ、大地を浸食する凄まじい水の渦を描き続けた。有月の繊細にして奔放なドローイングは、レオナルドのそれに似て、しかし世界の没落というよりはむしろ世界の生成を司る形象のように思われる。渦はまた螺旋でもあり、これは有機無機を問わず自然界を貫く根本的な線的形象かもしれないのである。有月の作品を前にして感動するとすれば、それは文字どおりわれわれの内なる生命を貫く線的形象が共鳴しているからにほかなるまい。
谷川渥(美学)

 

墨の音楽

どこから始まってどこで終わったのか? 観る者は有月の流麗な筆の輪舞の中に、起点と終点を探してしまう。
墨が音楽しているのだ。葬送曲なのだ。
見えてくる線の生涯が切なく心を揺さぶるのは、その調べのためである。
萩原朔美(映像作家 多摩美術大学名誉教授)

 

渦の絵師

21世紀に入って、「琳派」の概念は偏狭で自閉的な日本美術史の枠組みを超えて、いまや世界的に共有されつつある。それはおそらく、澁澤龍彦が喝破したように、「マニエリスム」と同義なのだ。尾形光琳の『紅白梅図』の乱流・渦の探究にはじまり現在まで、時間と国を超えて間歇的に現れる、その「未完の琳派」の系譜に、渦の絵師・有月の「画」はつらなっている。
石黒敦彦(サイエンス・アート研究者